カテゴリ: 卦の解釈

秦の穆公。

九四
もし、あなたの足があなたを躓かせるなら、切り捨ててしまいなさい。五体満足で地獄に投げ入れられるより、孫臏や伊達政宗のスタイルで天国に行く方が優っているのだ。
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これは、力だけで解決できる問題ではないということに気づかなければいけないのである。
すでに状況は収拾不可能であり、どう取り繕うかである。
例えば末期鎌倉幕府は、西国の赤松円心や楠木正成などに構わず、美濃以東の東国の支配を固めなければいけなかったのではないだろうか?
足利尊氏や新田義貞を西国にやったのは幕府の過ち。持明院統大覚寺統の争いなんて、放り出せばいい。一切の介入をしない。
私が長崎高資ならそうする。征夷大将軍の幕府、即ち陣営に皇帝が裁定を委ねるなんて、中国史から見たらギャグだと思う。
バヤジット二世は、反乱を起こしたトラブゾン太守のセリム王子🤴への対処を誤ったように思う。
アフメト王子を即位させたところで、最後の審判の千分の一とも言われる、帝都イスタンブールの大震災が起こり、皇帝の常備軍イェニチェリが給料の安さに憤慨してクリミア半島に幽閉されて無聊を囲っていたセリム王子を擁立して帝都に攻め入り、逆にアフメト王子とバヤジット二世を幽閉した。
セリムを殺していれば良かった、離九四の弊害はものを正しく見ないというところから始まるのである。
その謬見を粉砕することは困難。私もどうしたらいいのかわからない。
麻原のみぞ知るところというところじゃないかな。
私も物理や地学をもっと勉強していれば良かったかな。

いずれ長崎高資については、パセーナディ王と関連づけて述べることがある。

亡国日本の悲しみに載っているあるエピソードのステレオタイプが長崎高資。賄賂の二重取り。下衆の極み。
六五
見識が高いゆえに後悔するは、アレクサンドロス大王気取りの、セリムなり。
ディクショナリーの持ち込みを試験監督に許可させた孫正義のような熱意だけが物事を可能にする。
実力の伴わない高望みゆえに後悔する。
バヤジット二世を幽閉して権力を握ったセリム一世は、自分の部下の多くがシーア派サファヴィー教団に影響を受けていることを不安に思った。
そしてイランを攻めた。ウズベク族に背後を脅かされているイスマーイールはアナトリアのイズニクなどの都市を燃やしながらひたすら逃げる。
それで、オスマン兵は疲労困憊。
セリムのテントにブチ切れた皇帝親衛隊イェニチェリがマスケット銃を撃ち込んだ3日後、ついにオスマン軍はサファヴィー教団の本拠地、
オウム真理教にとっての富士山麓上九一色村のようなタブリーズに迫った。
そしてようやく迎撃に出てきたイスマーイール一世の数万をオスマン軍公称十五万、おそらく実数七万程度がヴァン湖のほとりで叩きのめした。
馬防柵の向こうからイェニチェリたちは、まるで公文を進める天才少年のような笑顔でマスケット銃を乱射しイスマーイール親衛隊、キジルバシュたちを寂滅為楽させていく。
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ウスタージャールーら、キジルバシュたちの主だったものたちは皆戦死し、セリムはタブリーズに入ってさらに南下しようとした。
しかし疲れ切ったイェニチェリたちは拒否した。
セリムはどうしたらよかったんだろうか?
セリムは泣いた。
数百年の敵を子孫に残す悔しさは想像に余る。
金剛槍破を得た犬夜叉のような顔でセリムは大量の、イランの芸術家達を連れて帰還した。
もし、セリムがイェニチェリ達にタブリーズにとどまって休息し、財物を貪って機嫌を直すよう懇請したならば。
こんなことをセリム様に言上したら鉄拳制裁を喰らうかわからないが、おそらくイェニチェリ達は説得に応じた。
ディクショナリーの持ち込みを試験監督に許可させた孫正義のような熱意だけが物事を可能にする。
上九
夏草や つわものどもが 夢の跡
チャンスを逃してしまった。勇気を出して再チャレンジしないなら、二度と願いは叶わない。
スレイマン1世立法者はロードス島もハンガリーも放り出して、サファヴィー朝を始末するべきだった。
チャルディラーンの戦で大敗して以来
酒浸りのイスマーイール。
リダニヤの戦いでトゥーマンバーイをセリムが破って征服したエジプト兵がいる以上、兵が足りなくなることはない。
1520年のうちに大規模な遠征を行えば、ホラーサーンは言うも更、パンジャーブ地方のバーブルすらも倒せたろう。
しかし、イスマーイールはスレイマンが時間を無駄にしてる間に死に、あとは英明なタフマースプが継いでしまった。そしてここに、苦悩に満ちた、サファヴィー朝との200年の戦争が始まった。サファヴィー朝の名将、ペルシアのナポレオンことナーディル・クリー・ベグがオスマン帝国の対ビルマ、タイ戦線で活躍してくれたらどんなに面白いものが見れたろうか?

離初九
覚悟を決めるべき。どれほど精神を明瞭にするかで状況は決まる。わたしはこの卦が出たなら必ずコーヒーを飲む。そうすると精神が明瞭になって正しい判断ができる。
偉大な人物が死んだ直後、または王族が未開の土地を開拓するというふうに易林の例えをわたしは読んでいる。
科目で言えば数学や現代文。計算ミスや判断ミスを除くことで点が上がる。

歴史上の人物なら、例えばバヤジット2世信仰者、例えば麻原彰晃、例えば武田勝頼。
彼らは混乱状態を収集し、自分の組織を再編成するところから始めなければならなかった。
安穏としているわけにはいかず、速やかな状況判断が必要になる。
それができなければ、バヤジット二世がジェムスルタンに勝てず、オスマン帝国はジェムの東オスマン帝国とバヤジットの西オスマン帝国に分裂してしまう。なあ。オスマン帝国自体が東ローマ帝国の後継国家なのに、さらに二つに割ってどうするの。四分の一になってしまうのは無残。非常に残念。メフメト二世を恨むしかない。いささか無念な結果が貴方の目前に現れてこようね。
六二
ジェムを退治したバヤジット二世、1991年の麻原彰晃、1574年の武田勝頼のように勢いに乗っている。この時に出来る限りの力を尽くしておくことだ。
やがて不和をきたすか、敵が強くなってくる。その時、この時にどうしてもっと頑張っていなかったのかと呑臍の悔を残すのだ。例に挙げた三人は、恐らくまともな死に方をしていない。
この3人のようになりたくないなら、今は面白いようにことが進むときなれば、ありったけの工夫を凝らし、滅びを遅くするための備えを十重二十重に張って全力で頑張りなさい。
例えば徳川家康は、子孫を残すために水戸家だけを大の勤王家にし、天皇と徳川家が争ったら、水戸家だけは天皇家につくというようにした。
始皇帝の刀狩りや、麻原彰晃が融資を受けずに教団を運営したこと。そうしたことももちろん役には立つが、そもそも行動方針を見直した方がいい。
始皇帝は万里の長城を作るべきでなく、麻原は信者を安易に出家させるべきではなかった。
天上の御二方が聞いたら何というかは兎も角、わたしはそう思う。

九三
六二の頑張りを下敷きにして、破滅に抗うのが離九三。陳勝も項梁軍の周文も、マムルーク朝エジプトも波野村のオウムバッシングも、なんぼのもんじゃい。しかし、悲しいかな。根本的矛盾に気づいていないのである。
そして柔軟性がない。いっそのことここでボコボコにされていた方が良かったのかもしれない。
劉邦軍が漢中に入ったところで趙高は胡亥を殺したが、始皇帝在世中、即ち六二の時代の残りカスとして現れれた章邯がいなかったなら周文がすでに秦政府を倒していたはずである。
どっちの方が中華人民の苦悶は少なかったろうか?
己のなしたことはことごとく、一つ残らず己れに還るカルマの法則に照らして、どっちの方が胡亥のカルマは悪くなるだろうか?
周文によって廃位された方が、胡亥のカルマ的には良かった、悪行を積む前にその人を殺すという、立派なポアが成立したのではなかろうか?

バヤジット二世に総括されたジェムスルタンの尊顔
彼も、魏の曹植のように、詩だけ作っていたら長生きできた、全てのムスリムのためにもそうであってほしかった。
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離は、内乱です。方向性が定まらずに時間を無駄にするんです。だから、方針を決めて欲しいと思います。
南北戦争で、南部連合のジェファーソン・デービスは劣勢だったために、首都ワシントンD.C.を襲ってリンカーンを逮捕するという計画を立てた。
呉楚七国の乱で、呉王劉濞が反乱に失敗したのは、田禄伯と桓将軍の、征服スピードを上げるために軍隊を分割なさいませ、我らがそれを統率しましょうという提案を蹴ったためであるとも考えられる。
孫子にも、村を略奪するために部隊を分けるとある。
スピード重視。
同じ土俵にいても仕方ない。発想の転換。

六四
これまで行っていた間違った行為を懺悔しつつ、明らかになったやるべきことを必死に行うこれが坎為水の六四である。
じゃあ、六三を意地でも六四に変えるべきであると。
じゃあ、どうしたらいいか。阿片戦争のように、目を覚ますイベントが必要である。六三の時は決してやる気が出ないばかりか、正しい見解に対抗する、間違った見解がすぐそばにあるのだ。
そしたらどうすべき。
私に言えるのは、たくさんの本を読むこと、やる気を充足させるためにもっとも有用と思われることを成すこと。
九五
アレクサンドル2世の農奴解放令。
妥協的に、その場しのぎの咎なしを得る方策を実行する。もっと抜本的な改革が必要とも思うが、できない。やるにはリスクがある。アレクサンドル2世が農奴を無償で解放しようとしたらどうなるか?
アレクサンドル2世は1861年に殺されますよ。
貴族に。
上六
抜本的改革に手をつけたらどうなるか、です。
他人と争わねばならなくなり、無残な結果になります。
風水渙六四の時と同じようなノリで行動を起こしたら、大災害を招きます。
ロシアは、改革をしようとすると反改革勢力と外国が結びつくから、なかなか改革ができません。レーニンがロシア革命を起こした時、皇帝親衛隊をしていたロシア白軍、デニーキンとコルチャークがレーニンと戦いました。白軍を外国が支援したり、シベリア出兵とか受けて、二進も三進もいかなくなる。
ロシア革命の後、ロシアは中国やトルコに持っていた権益を手放した。また、経済的にも、内戦のせいで打撃を受けた。1917年の経済水準に1926年まで戻れなかったんだったかな。

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